世田谷を縦断する国分寺崖線

世田谷区の南西部には、多摩川、野川、丸子川、仙川といった水の流れと国分寺崖線(がいせん)という豊かな緑が連なっています。小田急線の成城学園前駅と喜多見駅の間はトンネルになっていて、地上面に抜けるあたりが、ちょうど国分寺崖線にあたります。

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この国土地理院の陰影起伏図を見ると、高低差が黒く描かれた崖線の模様がよくわかります。

目次

国分寺崖線とは

国分寺崖線の斜面の全面積は、世田谷区全体から見ると4%程度にすぎませんが、樹林地の面積でみると、区全体の11%を占めています。また、緑被率も59.1%と高く、区全体の24.2%の2倍相当にあたります。

国分寺崖線は、多摩川が10万年以上台地を削ってできた崖の連なりです。立川市の北東部から始まり、国立市、国分寺市、小金井市、三鷹市、調布市を通り、世田谷区に続いています。

崖線の成り立ち

武蔵野段丘と立川段丘

崖の高さは、10メートルから20メートル近くあります。崖の高い方は、武蔵野段丘です。また、低い方は立川段丘です。言い換えると、世田谷区の大半は武蔵野段丘で、喜多見や宇奈根あたりは立川段丘になります。

多摩川は、立川段丘の低いところを流れていることになります。実は、ここにも立川崖線という崖線があるのです。府中市の大國魂神社と南側の東京競馬場の間の低い崖です。

多摩川の流路が変わる

川が流れているところには、必ず崖があります。昔は、人口の堤防などありませんでしたから、川は大きく蛇行しています。長い周期の中で、川が台地を削っていったのです。

武蔵野段丘を作る

今から数十万年前の多摩川は、青梅で扇状地に出ると、狭山丘陵の北を流れて荒川と合流していました。その後、10万年前からは狭山丘陵の南側を流れるようになり、武蔵野段丘を削っていったのです。

つまり、国分寺崖線は、多摩川の北の流路の名残ということです。

立川段丘を作る

その後、多摩川は南下しました。この時に、立川段丘が生まれました。

多摩川低地を作る

そして、現在の多摩川が土地を削ってできたのが、多摩川低地です。明治期以降は、人口の堤防を造ったので、堤防の外側に多摩川低地が広がっています。

国分寺崖線の自然保護

崖線は、近年までは開発されずに自然の姿のままとどまっていましたが、人口増加に伴う土地利用の需要が増したことや、土木・建築技術が向上したことから、開発が進められてきました。

その一方で、崖線の樹林をできるだけ破壊せずに保存も行われてきました。また、崖線からは台地の地下を浸透した地下水が湧水として湧き出ています。国分寺崖線においては、その湧水が野川となっています。

湧水地点は水がきれいなことから、水棲の動植物が豊富です。なかでも、ホタルやワサビなどが育っているところもあります。都市化された中に、豊かな自然を保つことが、国分寺崖線近隣の住民には求められているのです。

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